神子が内に秘めている治癒力を覚醒させるためには、半獣の中でも妖力の高いものと交わることが条件とされている。神子の体内に妖力に満ちた精を注ぐことで、それが可能になるためだ。
「神子様の体内、
「男のそれは、精を生み出す場所にも近いからか、女よりも治癒力が高いとも言われている。だから皆、楓さまに多く期待してるんだろうな」
座学を始めて半月余り。そして同時に住処を共にするようになって同じくらいの日が経ち、知識の蓄積も、三人の物理的な距離も当初に比べれば幾分近くなっていると言える。楓も二人に世話されることにだいぶ戸惑わなくなり、身を任せるようになってきたのも大きいのだろう。
「なあ、楓さまよ。俺の店に来るかい?」
座学を終えてお茶とか詩を楽しんでいる時、ふと、松葉がそう提案してきた。
松葉は、常盤が診療を行っている診療所に卸す薬を扱っている、薬問屋の旦那だという。店の経営は有能な番頭に任せているというが、それでも店を不在にするわけにはいかないのか、日中の多くは店に滞在している。
「お店に? いいの、僕が行っても」
「俺ぁ昼間ほとんど店にいて、楓さまと話も出来ねえんだ。たまにはいいだろ、常盤」
毎日、
ただ神事のために共同生活をしているだけで、そこに何か愛着などないはず……と、楓は思っているのだが、それでも、相手から相手の領域に招かれるのは心を許されている気がする。しかも、場所はこちらではまだ行ったことがない場所ならなおさら魅力的だ。
「そうですね、楓さまにもこちらの町の様子などを知って頂くには、いい機会でしょうから、そうしましょうか」
「じゃあ決まりだな」
話が決まると、すぐに支度が始まる。初めての外出らしい外出とあって、二人は真剣に楓の着物を選び始める。色や柄、髪飾りや手に提げるきんちゃく袋に至るまで、細かに、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、小一時間ほどしてようやく支度が整った。
「もうちっと明るい色の着物がいいだろうになぁ……地味すぎやしねえか?」
「あまり華美になって、ヘンな輩に目をつけられてしまっては元も子もありませんからね。これでいいんです」
そう言いながら、表に用意された籠に乗せられた楓の姿は、若草色の小袖に深緑の帯を締めた若々し色合いの着物姿だ。髪飾りにと白い花の木目込み飾りを施され、元々の愛らしい容姿も相まって年頃の娘のようにも見える。ただ、楓には獣の耳がないため、頭を布で覆う。
そうして連れられて行った松葉の薬問屋、
土蔵造りの屋根に、壁の漆喰は黒でシックな印象を与え、店構えは広く、濃紺の暖簾に描かれた朝倉堂の紋が印象的だ。
昔少しだけ父親とテレビで見た時代劇のセットの街並みみたい……いや、それよりもうんと立派かもしれない。楓は籠の窓から店を見上げ、そう思った。
「さ、楓さま。御手を」
「あ、はい……」
店に見惚れている間に籠の御簾があげられ、松葉が覗き込んでくる。手を差し出されてエスコートされる形になり、楓はそっと手を取りゆっくりと籠を降りる。改めて見上げる朝倉堂は、その繁盛ぶりがうかがえる立派な造りだ。
「おかえりなさいませ、旦那様」
籠がつくなり、店の使用人たちが揃って声を掛けてくる。松葉はそれに鷹揚に微笑んで応え、「奥の座敷に茶を用意してくんな」と告げると、「こっちだ」と、楓と常盤を案内していく。
何組かの客が店の中でやり取りをしているのを横目に、楓たちは松葉についていきながら奥へと進む。店を構える建物を抜けると、本来であれば裏長屋があったりするのだが、朝倉堂は裏に続く渡り廊下があり、そこを進むとさらに奥に屋敷が構えられていた。そこが、松葉の住まいなのだという。
「ああ、楽にしてくれ。いま茶を持ってこさせるから」
小さな池に面した広間に通され、楓と常盤は並んで座る。松葉は自宅ともあってとても寛いだ様子だ。
楓が通された広間の飾り棚や床の間、面している池のある庭の方などをきょろきょろと眺めていると、使用人がお茶を運んできてくれた。ホッと一息ついていると、「なあ、楓さま」と、松葉が声を掛けてくる。
「どこぞへ行きたいなどあるかぃ? 見てみたいものとかよ」
「いきなりそう言われても、楓さまもお困りでしょう。何せ初めて屋敷の外に出たんですから」
「まあ、そうなんだがよ。それでも面白くねえとこ行っても仕方ねえだろ」
松葉の言葉に常盤がツッコミを入れ、それによりまた空気がピリッとひりつく。楓との約束の手前、すぐさまにらみ合ったりケンカに発展したりする様子はないが、ひやひやすることに変わりはない。
とは言え、折角わざわざ松葉の店に招いてもらったのだから、ここでしか見られないものが見たい。楓は少し考え、二人にこう提案してみた。
「あの、松葉のお店がどんな様子なのかを、見せてもらうことはできる? さっき少しだけここに来るまでに見せてもらったけれど、薬ってきっと僕のいた世界とは違うと思うから。」
楓の提案に松葉も常盤もうなずき、「それはいいかもしれない」と、珍しく意見が合ったようだ。
そうして早速、楓は松葉と、番頭である猿の半獣の|喜助《きすけ》に店を案内してもらうことになった。
町を散策した日を境に、三人の距離は一段と近くなった気がする。特に顕著なのが入浴時だ。「さて、楓さま。御手をあげてくんな。垢すりをしてやるよ」 普段通り、体を洗うのは松葉の役割なのだが、そのやり方がこの頃少し変化してきている。以前であれば、石けんを泡立てて手ぬぐいにこすりつけ、それで身体を洗ってくれていた。 しかしこの頃は、手ぬぐいを用いない。松葉が泡を手に取り、それで楓の体を擦ってくるのだ。 泡をまとった松葉の大きくな手のひらと長い指先が、楓の肌を滑っていく。その感触が、くすぐったくてつい、楓は笑いをこぼしてしまう。「っふふ、くすぐったいよ、松葉」「ほれ、そんな動かねえでくれよ楓さま。擦れないだろう」「っふ、ン、ッあ」 不意に抱き寄せられ腕の中に納まり、その指先が胸元や腹のあたりに触れる。性的な意味合いはないはずなのに、不用意に触れられて声が漏れてしまう。 楓は慌てて唇を噛み、声を漏らさぬように堪えるのだが、松葉はそんな様を知って掠らずか、構わず抱きすくめたまま肌を擦ってくる。「今日は表に出ただろう? よぅく洗っておかねえとな……」「ン、ンぅ……ッは、ンぅ……」 本当に、楓が漏らす声に気付いていないのだろうか、と思うほどに、松葉の手は楓の体の隅々に触れてくる。それも丁寧に執拗なほどに。 いやらしい意味はないはず、これはただ体を洗っているだけ……そう、楓は自分に言い聞かせはしつつも、頭のどこかでは、「でも、この共同生活はやがて参院でセックスをするためのものでしょう?」と、問いただしてくる考えもちらつく。そうしてそれはやがて、楓の花芯をゆるく勃ち上がらせていくのだ。「っふ、ンぅ……ッは、ン……」 堪えているはずの口元がほどけ、つい、声が漏れてしまう。ギュッとそのたびに身体を硬くすると、ほぐすように松葉の指が肌に触れてくる。それが一層、楓を甘くとろかせていくのに。 ぎりぎりと耐えながらうつむく楓の耳元で、松葉が濡れた声で囁く。「どうした、楓さま……体がどこもかしこも真っ赤に熟れてるぜ?」
「へぇ、凝ってるねぇ。お前さんの手作りかぃ?」 的屋の娘に松葉が問うと、娘は違うと首を振り、寂し気に苦笑して答える。「いいや、おっかさんの手慰みさ。禍の病のせいで仕事ができないから、気持ちがくさくさしちまうって言うから、千代紙でなんか作んなよって言ったらこれをこさえてくれたんだよ」「……へぇ、そうかぃ。上手いもんだ」「そう言ってくれると、おっかさんも喜ぶよ。先月からはおっとさんも病にかかっちまってるもんだから、娘のあたしに世話掛けるって、二人してふさぎ込んじまってるからね」 禍の病により、仕事を失う者もいれば、生活が立ち行かなくなる者もいる。病が進めば先祖返りの恐れもある。そのため、それまで自活できていたのに、罹患したせいで暮らしがままならなくなり、家族に扶養されなくてはならなくなる。それを、後ろめたく思う者も少なくはないという話なのだろう。 楓は話を聞きながら手許の簪を握りしめ、うつむく。自分がもしこちらに来てすぐに神事を行えていれば、彼女の両親はそう思わずに済んだかもしれない……「もしも」の想像の域を出ない話ではあるが、申し訳なさを覚えてしまう。「……ごめんなさい」 つい口をついて出た言葉に、娘はきょとんとし、「うん? 何で兄さんが謝るんだぃ?」と首を傾げる。 楓が神子様であることは関係者以外に知られては、治療をして欲しいなどと持ち掛けられて騒ぎになりかねないため、伏せておかねばならない。それでも罪悪感に耐えかねて口をついて出た言葉に、楓は慌てて口を塞ぎ、弱く笑って言い訳する。「あ、えっと……当たり、出しちゃったから……勿体無いなぁって思って……」「っははは。いいんだよぉ、もらってくんなよ。ウチの店で当たったらこんないいもんもらえるよって触れ回ってくんな」 娘が明るくそう笑ってくれたので、楓は改めて礼を言って店をあとにした。手許に握られた簪には小さな鈴もついていて、歩みに合わせてささやかな音を奏でる。それはまるで、自分の不甲斐なさに沈む楓の心を慰めているかのようだ。「禍の病にかかっている人って、仕事が出来なくなっちゃったりして、大変なんだね……」
朝倉堂の店内を見学した後、楓は松葉と常盤に連れられて通りを歩いてみることにした。 病が早いっていると聞いていたので、暗い雰囲気が漂っているのかと想像していたが、道行く人々の表情は特段暗く沈むことはない。獣の耳や尻尾が生えていて和装である点を除けば、楓が住んでいた町のにぎやかさと変わりはないように見える。 朝倉堂は、通りの中でも人通りが多い一角にあるようで、往来が激しい。人だけでなく大八車も荷台を牽く馬も行きかっている。「手始めにどこ行くかなぁ……流行りの的屋にでも行くかぃ?」「まとや?」 道を歩きながら、聞き慣れない言葉を返すと、常盤が答えてくれた。「三文銭ほどで五回、弓矢で射的を行う遊技場です。当たりが出れば何かがもらえるんだそうですよ」「まあ、駄菓子とか酒のつまみとかそんなもんだけどな、元が三文だから、あたりゃ儲けものってところだ」「おもしろそう! 行ってみたい!」 そうして早速、歩いて数分の店に入り、松葉の手ほどきを受けつつ弓矢を構える。弓道なんてたしなんだことがないので、楓にとってこれが初めてだ。 的は大人の手のひら大の素焼きの皿で、それを射落とすか割れば当たりだという。 まずは松葉が弓矢を構え、ささっと三回連続で的を射ることができ、景品の一つであるスルメイカの干物をもらっていた。「上手いねぇ。常盤はできる?」「え、ええ、まあ……」 いつもであれば何事もそつなくこなすイメージのある常盤なのに、なんだか煮え切らない態度である。その様子を、松葉がニヤニヤと、イカの足を咥えながら見ている。「座り仕事の多い医師様にゃあ、弓矢なんて難しいんじゃねえのか?」「戦場でもあるまいし……これくらい、造作ありません」「へぇ。じゃあ、当ててみろよ」 挑発するような目を向けてくる松葉に対し、常盤は珍しくあからさまにムッとし、弓矢を構える。心なしか矢じりが震えて見え、狙いもブレているようだ。 そうして射られた矢は、案の定大きく的を外し、松葉が腹を抱えて笑う。「い
「こちらが、当店自慢の商品棚でございます。ざっと、二百、いや、三百の薬湯や薬を扱っております」「わあ……すごい数の引き出し……」 店内の最奥の壁には一面の木製の引き出しが作りつけられていて、そのすべてに小さな品目の紙が貼られている。人間界で言うなら、薬局の棚と同じだろうか、と楓は考える。「右から咳止め、痰きり、熱さまし……あとは腹下しの薬なんかが良く出ますね」 よく使うものほど下段にあり、滅多に出ないものは上段に置かれているという。喜助はその中でも特に珍しいというものを見せてくれた。「……これは?」 それは和紙で丁寧にくるまれた、一見高麗人参にも見える長細い植物の根のようなものだ。枯れた草のようなものを生やし、根のような部分が黒ずんでいる。「冬虫夏草、と申します。土の中の虫やクモなどに寄生し、キノコを生やすものでございます。これはセミタケになります」 そうやって見せられた冬虫夏草はなかなかにグロテスクな姿で、楓は思わず小さく悲鳴を上げそうになったが、辛うじて堪える。「こいつはな、滋養の付く効能がある。特にウチで扱うのは物がいいからな、評判ではあるんだぜ」「こ、これをそのまま飲むの?」「まさか。乳鉢で潰して粉にして、煎じて飲む。もちろん飲みやすいように他の薬草とも合わせてな」「その行程は私もやったことはありますが……まさか現物がこんなものだとは……」 常盤も、診療所では薬になっている姿で扱うからか、原材料の姿で目にすることは滅多にないようで、若干顔を背けていた。尻尾も垂れた様子を、松葉が面白そうに見ている。「夜伽の薬はまあだいたいこういう見てくれのものが多いかな。なにせ、精をつけるんだからな」 そんな話をしながら、松葉はまた次々に新たな薬を出してきては説明してくれる。座学は苦手だと言って、常盤の講釈には顔を出さないが、それでも薬に関することになるとちょっとした講座が開かれたようになる。「こっちはもっと珍しい。舶来ものだ。金貨百枚出しても欲しいって御仁がいるくらいだ」 そんな
神子が内に秘めている治癒力を覚醒させるためには、半獣の中でも妖力の高いものと交わることが条件とされている。神子の体内に妖力に満ちた精を注ぐことで、それが可能になるためだ。「神子様の体内、胎……下腹部にあたる辺りに、慈愛の源になるものが眠っているとされております。その多くは、命を宿すことができる人間の女性の胎なのですが、極稀に、楓さまのように男性でもそれを持つ方がいらっしゃるのです」「男のそれは、精を生み出す場所にも近いからか、女よりも治癒力が高いとも言われている。だから皆、楓さまに多く期待してるんだろうな」 座学を始めて半月余り。そして同時に住処を共にするようになって同じくらいの日が経ち、知識の蓄積も、三人の物理的な距離も当初に比べれば幾分近くなっていると言える。楓も二人に世話されることにだいぶ戸惑わなくなり、身を任せるようになってきたのも大きいのだろう。「なあ、楓さまよ。俺の店に来るかい?」 座学を終えてお茶とか詩を楽しんでいる時、ふと、松葉がそう提案してきた。 松葉は、常盤が診療を行っている診療所に卸す薬を扱っている、薬問屋の旦那だという。店の経営は有能な番頭に任せているというが、それでも店を不在にするわけにはいかないのか、日中の多くは店に滞在している。「お店に? いいの、僕が行っても」「俺ぁ昼間ほとんど店にいて、楓さまと話も出来ねえんだ。たまにはいいだろ、常盤」 毎日、朝餉を終えてすぐに屋敷を出て店に向かい、日中のほとんどを店で過ごしているため、松葉なりに触れ合いのなさを気にしているのかもしれない。 ただ神事のために共同生活をしているだけで、そこに何か愛着などないはず……と、楓は思っているのだが、それでも、相手から相手の領域に招かれるのは心を許されている気がする。しかも、場所はこちらではまだ行ったことがない場所ならなおさら魅力的だ。「そうですね、楓さまにもこちらの町の様子などを知って頂くには、いい機会でしょうから、そうしましょうか」「じゃあ決まりだな」 話が決まると、すぐに支度が始まる。初めての外出らしい外出とあって、二人は真
楓が心配そうに常盤の顔を窺うと、弱く微笑む彼が目を細める。「楓さまは、お優しいですね。あなた様が神子様で、本当に良かった」 常盤は、普段のつんと澄ましたようにも見える、涼しげな表情をほどかせて、楓をよく褒めてくれる。それがなんだかくすぐったく、微笑みかけてくる表情に懐かしさを覚えるのが不思議だ。 他にも常盤の座学では、文献を紐解いて性技の講釈も行われたり、二人とセックスをすることで、楓が得られる治癒力にどのような効能があるのかなど、内容は多岐にわたる。 そうしている内に日が暮れ夕餉の時間となり、三人で食膳を囲み、風呂も眠るのも三人一緒なのだ。ただそこに、性的なふれあいはまだない。 松葉は座学は苦手らしく、その代わりに楓の風呂の世話やマッサージなどを請け負ってくれる。いまも楓の背後に座り、優しく髪を洗ってくれている。「洗い足りねえところはねえか、楓さま」「うん、だいじょうぶだよ」 まるで幼子に戻ったような扱いだけれど、触れ合いつつ互いに慣れていくことを思えば、必然な関わり方だろう。 体まで松葉は丁寧に洗ってくれ、お湯で洗い流すのも丁寧でやさしい。それは、正直少し意外だったし、実際、松葉が自身の体を洗い流すときは楓の時よりも随分荒々しい。常盤に顔をしかめられるのだが、それはそれで彼らしい振る舞いと言える。「どうれ、楓さま。頭を使って疲れただろう。ほぐしてやるよ」 そう言いながら、楓の肩や首をほぐしてくれるのは松葉のも役割だ。たくましい体躯で、力も常盤より強いというのに、その触り方はやさしく繊細さすら感じる。大きく太い指に肩や首を揉みしだかれると、自然と吐息を漏らしてしまう。「あー……すごく気持ちがいい……ありがとう、松葉」 マッサージもされて体の芯からホカホカしたままで湯につかる。大きなヒノキの湯船は、高級な温泉宿でもお目に掛かれないほどに立派なものだろう。 風呂だけでなく、閨の布団も当然ふかふかな立派なもので、寝間着もまた上等な仕立てだ。「しあわせすぎて、怖いくらいだな……」 人間界で